フィルム写真と旅する

地方に暮らす写真好きの日常

地方の街に住み、写真を撮り続ける

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地方に住んでいても、田舎に住んでいても、都会に住んでいても、外国に住んでいても、晴れた朝の光は、全ての人のもとへ平等にやってくる。

森の木々を抜けて、ビルや隣の建物を抜けて、カーテン越しに真っ直ぐに差し込んでくる。

朽ちていく地方の街

若い人が減って、子供も減って、お年寄りが残って、やがてはお年寄りも減る。
風に吹かれて、雨に打たれて、建物は古くなって、地方の街は年を取り、くたびれていく。それも急激に。

コンクリートで固められた道も、いつの間にか人が住まなくなった家も、ぼろぼろになって朽ちていく。人の手が入らなくなるから。

昔はそこにあった自然が、植物が街に戻ってきて、野性を取り戻した犬が飢えた目をして歩くようになる。
荒い風と波が押し寄せて来る頃には、人が住むにはもう手遅れの場所になるだろう。

都会を外に見ながら

都会は歩くと面白くて、絵になるものが沢山ある。
飽きないように出来ていて、いつも誰かの声がして、寄りかかれる距離に人が居て、息遣いで出来ている。

人の減っていく街には、やがて誰もいなくなって、風の音と、波の音だけ聞こえるようになる。
夜には時々、遠くのどこかで車の音がする。
無人のガソリンスタンドの光に、魂の還っていく山々が続く。

無くなっていく地方に身を置いて、盛り上がりのある都会を外に見ながら、その間にある抜け道を探している。
誰も居なくなった街のはずれにある、静かな森の中で、真っ直ぐに差す光を待っている。

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人の少ない地方の街中

地方の街の中心の、人の少ない場所で写真を撮る。

郊外のショッピングモールには家族を連れて買い物に出掛けたり、海辺や公園には釣りやレジャーの為に人が集まってくるけど、人口の減り続けている地方の街中には人がいない。

歩いている人や自転車に乗っている人をたまに見かける。
家の前で伸びをしている肌着のおじさんを見かける。近くのスーパーへ買い物に行く車がぽつぽつと走っている。
商店街はシャッターが閉まり、古くなった建物が並んで連なる。

人が減り、店は閉まり、車はまばらになり、アーケードには音楽だけが鳴っている。
何年か前はまだ続いていた店は、今はもう空き店舗になっている。人の居なくなった建物や、買い手の無い土地がそのままにされてある。

若い人をほぼ見かけない。スーパーで買い物をしている人の多くはおじいちゃんおばあちゃんである。

消えていく場所から

人が少なくなり、高齢化の進んだ地方の風景を寂しいと感じる人もいるだろう。あと10年か20年後にはこの街から人は消えてしまうんじゃないか。

長い年月の間に日に焼けて、風にさらされ、色褪せていく街の風景。建物が空っぽになり、街全体も空っぽになっていく。

でも、僕はそんな地方の風景が好きだ。

寂れて空っぽになっていく地方の風景が好きだ。人の増える見込みの薄い土地で、それでも何かを考えるのが好きだ。

失われ続ける場所で、消えていくものを感じながら写真を撮る。やがて写真には写らないものが心の中に表れ始める。

それでも生きていく

心の中に表れるもの。
それは「失われても生きていく」という気持ちだ。

昔から街にあったものが失われてしまっても、同じような日々の中で歳だけをとっても、それでも生きていく。生きて写真を撮っていく。

何の意味もないかもしれない。写真は残っても、自分以外の誰も見ないかもしれない。街に建物は残っても、人は減って消えていくかもしれない。

失われていく、消えていく、無くなっていく。
それでも地方に生きている。
何も無くなっても生きている。

地方で写真を撮っていると、日々無くなっていくものを感じると同時に、時間には限りがあって、限りがあるからと焦ってもどうにもならない事があると知らされる。

だからせめて好きなことをしていたい。
今日も明日も明後日も、好きなことについて考えていたい。

この先、別の場所へ引っ越すことがあっても、好きだった地方の街を定期的に訪れるだろう。
地方の風景を写真に残すことで、新しく生まれるものがあればと思う。

失われていく寂しさと、その中から芽生える未来へのきっかけが、地方のこれからのあり方を形作っていく。