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フィルム写真と旅する

地方に暮らす写真好きの日常

孤独な人は、写真を撮るのに向いている

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知らない街を一人歩く。見慣れた街を一人歩く。もう一度撮りたい場所に一人で訪れる。カメラを持って歩く時、僕達は確かに一人だ。

例えば街の建物を撮っている時、その建物は誰かが建てた時から、写真に撮った瞬間もそこにあって、人の目に触れてきた。誰かが中で過ごしていたかもしれない。

花や植物を撮っている時、それは誰かがそこに植えた時から、または生えた時からそこにあって、人の目に触れてきた。誰かが毎日水をやっていたかもしれない。

一人で見つけた何かを撮る時、その見つけた何かには、必ず人や自然の手が入っている。過ごしてきた年月がある。一人歩く僕の周りには、街を行く何人もの人がいる。時には沢山の人の思い出の場所を撮っているかもしれない。

その事に気付いた時、確かに体はひとつで写真を撮っているけど、意識は一人ではないと考えるようになった。

光の当たる場所を撮っている時、そこでは対象物と太陽の光を相手にしている。光と撮る対象と話をするように撮っている。

対象に込められた人の想いと、自然と過ごしてきた年月と、街を行く人々の関心と無関心と、レンズを通して見える光と影を相手に撮っている。

自分と他者の心の間の細かな差に気づき、目の前にあるものを他の人が見た時にどう感じるだろうと想像しながら写真を撮っている。

ブログ用の写真を一人で撮る時、その写真を見る誰かのことを考えながら撮っているなら。写真を撮る時、心の中に他の誰かがいるなら。その誰かに届く写真になるといい。

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出来るだけ一人で、自分をこの街の、国の、世界の隅っこに追いやる。四角く狭い部屋の角、影になっている場所でカメラだけを握りしめて、やがて窓から入ってくる光を待つ。ただひたすらに待つ。

孤独を全身に嚙みしめながら。寂しさに耐えながら。たとえ被写体になる人が目の前にいても、被写体を見てカメラを向ける自分は世界にただひとり。

今ここにいる瞬間から、やがて命が尽きる日まで。限りなく境界は消えて、どこまで行ってもひとり。それは時にとてもつらくて、涙を流してもやっぱりひとり。

人を嫌いなわけではなく、人に興味があるから、撮る対象になる相手の孤独を写せる瞬間がある。孤独を知っていれば、ひとりじゃない時に、ひとりぼっちの気持ちを写す事もできる。

そういう想いを乗せて撮った写真には、何か特別なものが宿る気がする。その瞬間、僕達はきっと一人ではないのです。