フィルム写真と旅する

地方に暮らす写真好きの日常

地方の街に生きる。大切な人や時間を失いながら。

f:id:andtr:20170202000646j:plain

地方の街に生きる。大切な人や時間を失いながら。
僕達は地方の街に生まれて、街に暮らし、街と一緒に消えていく。
朝の太陽が昇って、昼の空を通って、夕暮れの山間に沈んでいくのと同じように。

朝の太陽が昇るのと同じにおぎゃあと生まれた命が、元気だった子供時代、勢いのあった若者の時代を駆け抜けて、成熟した大人の時を迎える。

コツコツと積み上げていった大人の時代もやがては終わり、静かな老年の時代へと移っていく。
日の沈んでいく夕暮れの空をじっと見つめるような、今はそんな時代、夜を迎える前の夕暮れの時代なのかもしれない。

今は様々な地方が、夕暮れの時を迎えている

子供の頃、学校の卒業式を終えて数ヶ月、数年経った後にクラスメートとは疎遠になり、いつの間にか思い出も薄れていったのと同じように、忘れられていく地方がある。置き去りにされたままの街がある。

誰に置き去りにされているのだろう。それは時代の流れであり、そこに住む人、そこに住んでいた人の心から。
面白くない、何だかつまらない、行かないような店ばかり出来る、外に出ても興味を惹かれるものが何もない。

日常の些細な疑問や不満、不安が初めの引っ掛かりとなって、街は枯れていく。
そこに当たり前に暮らして、今日を生きている人々の心と一緒に、街はその全体の動きを鈍らせ、変わることを止めていく。

f:id:andtr:20170202001004j:plain

失くしていく、捨てていく、諦めていく、飽きていく

失くしていく事を忘れた大人達の街は、急速に老いていく。

日々の疑問や不満が生まれたのなら、その原因は何だったのだろう。
今の楽しみを追い求めず、次の面白さを知らないまま過ごしてしまった自分の心の中に、不満の原因はあるのではないか。

古くなったものを捨てるのを忘れて、沢山の荷物を抱えたまま歩き続けていると、荷物の重さで自分が潰れてしまう。
身動きが取れなくなって、自分以外の周りも巻き込んでしまう。

大切に想っていた人を、その時の気持ちやタイミングが合わずに失くしてしまった時、その隙間を埋められるのは永遠のような孤独の時間と、やがて出会う人への新しい気持ちだったのではないか。

何かをしたい気持ちを持ったまま、もやもやとして何も動けなかった時、その背中を押したのはそれまでに失った人生への後悔と、これからは何が何でも自分の生きた過去の時間を癒したいという強い気持ちだったのではないか。

失っていくことは、次の時代の空気に触れられること

大切な人や時間を失いながら、僕達は今日を生き続ける。痛みを超えて。
捨てていくこと、諦めていくこと、飽きていくことで、新しい気持ちや感覚を取り入れていかなくてはならない。