フィルム写真と旅する

地方に暮らす写真好きの旅と日常

地方の街を歩く。風の中、微かな春の足音を聴いた。

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地方の街を歩く。冬の風の中、微かな春の足音を聴いた、ある晴れた朝のこと。
あの日僕は、波音の静かな海のそばにいた。

大人はまだ夢の中

カメラを手に持っていた。写真は2、3枚撮っただけだった。
目の前には静かな海が広がって、後ろには地方の街が穏やかに佇んでいた。

時間はまだ朝だった。これからどこへ行っても良かった。どこにも行かなくても良かった。
天気のいい休日の朝。起きたばかりの子供達はまだテレビを見ている時間だった。

おじいさんおばあさんは早くに起きて、洗濯や家の用事をしたり、散歩をしたりしていた。
太陽の光の下で散歩をするのは確かに気持ちいいのだった。

大人達はどこへ行ったのだろう。きっとまだ眠っている。
心地のいい夢の中なのだ。

静かな街の光

海は本当に静かだった。目の前に広く大きくあるのに、押し寄せてくるのではなく、水瓶の中にただ溜められているといった感じだった。
時折小さな波の音が耳に届くのだった。

それはまるで眠りの前に聴く音楽のような、鍵盤をひとつ指でなぞったような音だった。

光と風と、静かに暮らす人達の街があった。
近い将来に向けて、少しずつ消えていくであろう家々の光は、今はまだ小さく灯っていた。

いつまでも無いことを知りながら、今を生きようとしていた。
本当は今にも倒れそうな中、懸命に立っていようとしていたのかもしれない。

本当はいつも同じだった

やがて消えていく街の中で、何か出来ないことはないかと考えるようになった。
何かしたいことを探すようになった。
失われ、損なわれ、無くなっていく街の中で。

思い出すのは子供の頃、海や近所の神社や空き地で思いきり遊んだ思い出だった。
静かな家々の間の道を駆けて、自転車で走った記憶だった。
遊び疲れて家に帰ると、母親が夕食の支度をしていた匂いだった。

何もなくても、何もない街でも、どこでも遊び場だった。
子供の頃は気づかなかったけど、あの頃から海は静かで、光は自然を差していた。
おじいさんおばあさんは散歩をして、休日の大人はよく眠っていた。

本当は元から同じだったのだ。

僕たちはこれからも色々なものを無くしていくけど、それも昔から同じだった。
雨に打たれ、風に吹かれて、家の灯火は少しずつ消えて、街は静かになっていった。
変わらないのだ。

時間をかけて、消えていくことを知った。
光と風はある。あとは楽しむだけだった。