フィルム写真と旅する

地方に暮らす写真好きの日常

僕がスマホやミラーレス一眼ではなく、アナログなフィルムカメラで写真を撮る理由

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【はじめに】この記事はスマホやミラーレス一眼と、フィルムカメラのどちらが優れているかを取り上げた内容ではありません。
アナログな感触を残すフィルムカメラへの偏愛を語った、個人的な好みの話です

指先ひとつで写真の撮れる時代

フィルムカメラを持って街を歩き、山を歩き、海辺を歩いて、いいなと思える風景に出会い、絞りとシャッタースピードを決めて、ファインダーを覗いてレンズの焦点を合わせて写真を撮る。
写真を撮った後、レバーを回してフィルムを巻いて、次の一枚をセットする。この一連の動作がとても好きです。

それは、撮りたいものにカメラやスマホを向けて、ボタンを押すと綺麗な写真の撮れる今の時代には珍しい行為なのかもしれません。
瞬きをするのと同じような速さで、指先ひとつで写真が撮れる。
撮った写真はすぐ画面に現れて、いらない写真はその場で消すことが出来るようになりました。

写真の要素全てを、アナログな操作で決定する

僕が好んで使っているフィルムの一眼レフカメラ(マニュアル操作)は、露出計やAFの付いているものもあるけれど、基本的には露出の決定からピント合わせ、ファインダーを覗いてシャッターを押すという行為全てがアナログな操作となります。

それら一連の操作では「写真に残す全ての要素を、手動で決定する」という選択を行っています。
使用するフィルムと感度の選択、光の露出、ピントをどこに合わせるのか、どこからどの範囲までが写っているのか、シャッターを押すタイミング等、写真に関する要素のほぼ全てを自分で決めています。

フィルムを通す儀式

裏蓋を開けてフィルムを通すまで、フィルムカメラは何もできない四角い箱です。
今では貴重になりつつある写真用フィルムを購入して、カメラに通して初めて写真を撮れるようになります。

カメラの裏蓋を開けてフィルムを通す作業は、まるでカメラに命を吹き込む儀式のよう。
その儀式によって「さあ、今日はこのカメラで写真を撮るぞ」という気持ちにさせてくれる。
そのことがよりカメラへの愛情をより深いものにするのです。

シャッター音とミラーショックによる手応え

特に好きなのが、ダイアルやボタンを操作した後、ファインダーを覗いて、シャッターボタンを押した瞬間のシャッター音を聞くことです。

撮りたいタイミングでシャッターボタンを押した瞬間、パシャッ!という、カメラによってはカシャッ!とかパシュッ!と響くあのシャッター音を聞くのが気持ちよくて、「今、写真を撮ったぞ」と心から思える音だったりします。

シャッターボタンを押した瞬間、カメラの中ではミラーとシャッター幕が動いているので、カメラ本体を持っている手に多少のショックが伝わります。
本当に微細な振動なのですが、その機械的なショックが写真を撮った感覚を増幅させてくれるのです。

ファインダーを覗くという行為

写真を撮る前にはファインダーを覗きます。
レンズとカメラの中の鏡を通して見える世界が、カメラ本体に設けられた小窓を通してその向こうに広がっています。

そういった機械の音や振動や鏡を通して見たものを、アナログな操作で写真に落とし込むのが好きで、写真を撮っています。
撮った写真が溜まっていくと沢山の思い出が形になって残りますが、写真を撮った本人にはファインダーを覗いてシャッターボタンを押した瞬間の記憶までが残っていることがあります。

体は心以上に、その瞬間の感触を覚えているのかもしれません。

その時に見ていた風景や季節の光、風の音、空気の中の湿度、写っている人の表情や気持ちまでを体が覚えているから、写真を見返した時に微かに蘇る感触があるのです。

私的な写真はフィルムカメラで

仕事や頼まれ事で写真を撮る際はミラーレス一眼を使うこともありますが、それ以外の好きに撮れる撮影の際は、必ずフィルムカメラを使って撮っています。

こういう事を書くのは、今後ミラーレス一眼の市場が元気になっていっても、フィルムカメラやデジタル一眼レフカメラの需要が残って欲しいという願いがあるから。

確かにフジのX-Pro2あたりはよく出来ていて、写りも操作の感触もいいし、お金に余裕があれば欲しい…。
でもフィルムの生産の続く限り、一眼レフカメラの製造が続く限りは、アナログな感覚の残るカメラを使っていきたい。

とはいえ、デジタル技術が進化していくと、アナログな感覚を超えた気持ち良さを備えたミラーレス一眼が出てくるでしょう。
そうなった時には老いぼれと呼ばれながら、昔から使い慣れたカメラを使うのも、味があっていいのかもしれません。

お題「やっぱりフィルム写真が好き!」