フィルム写真と旅する

地方に暮らす写真好きの日常

写真を撮る。過去が積み重なって、未来が見えてくる。

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何となくぼんやりと考えていたことがはっきりと形を表してきたり、
はっきりとしていた考えがぼんやりとしてきたり、
行ったり来たりを繰り返しながら、思考と現実が少しずつ近づいてきています。

僕は写真を撮っているけど、音楽をつくっている人は曲を書く時、こういう感覚なんだろうか。
求めていた音に自分から近づいていく感じ。
または、求めていた音の方から自分に近づいてくる感じ。

何かを作る自分と、周りの環境が丁度いいバランスになった時、光みたいに降りてくる。

そういう状態をここ数日、体験しています。
きっとGWがいい経験を持ってきてくれたんだなあ。

写真は過去の積み重なり

写真を撮っていて感じることは、
写真は基本的には、撮った時点で目の前から過ぎてしまっているという事。

シャッターを切って、フィルムに焼き付けた時点で過去になってしまう。
現像して見返した時にはもう、遥か遠くの出来事になっている。

それは時に悲しくて、寂しくて、もう戻れない過去が写真となって積み重なっていく。
撮った後のフィルムや写真は残っても、手元には何も残らない。

シャッターを切った瞬間のことを、その時の気持ちを、
その日の出来事を、心が覚えている。
たったそれだけのことを、一生かけてやっているのです。

何だかあまりにも儚いと思いませんか。

撮った写真から、未来が見えてくる

写真をやっていて楽しみなことのひとつは、
今まで撮ってきた過去の積み重なりを、ひとり部屋で眺めていると、
ほんの僅かだけど、ぼんやりとした未来が見えてくること。

何となくの感覚で、摑みどころもないけれど。

次はどこへ行きたい。どんな風景を見たい。誰に会いたい。
そういう気持ちが心の中に芽生えてくる。

時間をかけて、お金をかけて、体を動かしてシャッターを切って、
過去ばかりが溜まっていくのではなく、見えてくる未来がある。

そんな気持ちになれるのが楽しくて、もっと味わいたくて、
今日も明日も、次の週末も、フィルムを入れて、カメラを持って外へ出かけるのです。

写真をもっと楽しむために

今が次から次へと過去になって、
手の中を通ってするすると時間の中へ逃げていくのに、

追いかけようとはせず、無くなっていくことを心のどこかで楽しんでいけたら、
消えていった時間の証を、写真で残すのがもっと自然になるなら、

フィルムで写真を撮ることを、もっと楽しめると思うのです。

写真を撮りたくない日が来ないのは、もう人生の時間の一部だからです。