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フィルム写真と旅する

地方に暮らす写真好きの旅と日常

写真にも文章にも、人の心を左右する力がある

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写真を撮っていて思うこと。
写真は平面的なもので、実際に奥行きがあるわけじゃない。
目で見ることは出来ても、画面越しだったり、1枚の紙だったり、触ることは出来てもやっぱり紙だったりする。

データだと匂いはしないし、何か匂ったとしても紙とプリントの匂いである。
1枚の写真は歩いてどこかへ行かないし、例えば部屋の中を撮ったとしても写真から部屋の中が浮き上がって再現されるわけじゃない。

どこまで行っても平面の世界だけど、奥行きや匂い、感触や感情を包み込んだ写真は確かに存在する。
見ているだけで、眺めているだけで、人の心や感覚に訴えかけてくる写真は確かにある。

いつまでも平面の世界

こうして打ち込んでいる文章も同じ。
画面越しに見えているものには変わりないのに、時間の変化や人の気持ちの揺れ動き、その全てが物語となって語りかけてくる文章がある。

凄いなと思う。と同時に、平面的な写真や文章の世界が、どうにか立体的なものにならないかなとも思う。
思い描いていることを写し込んだ写真や文章が立体になって、そこに奥行きを付けられたら、あっという間に理想的な場所が作れるのにと思う。

でもいつまでも平面の世界だからもどかしくて、そこが面白い。
どうにかまだ誰もやってない新しい形で、その先に行けないものかと考えています。

それぞれの反応が形に

フィードやタイムラインに流れて来たものを眺めて、ハートやコメントを送り合う毎日では、そろそろ刺激が足りなくなってきてる。

今も昔も必要とされているのは、自分の肌で身近に感じられる物語なんじゃないか。
心がリアルに突き動かされる、走って叫びたくなる衝動のようなものではないか。

夜の帰り道、家の中ではそれぞれの人が明日までの時間を過ごしている頃、
ぼんやりと浮かぶ月と、街の空からは見えない星と、街灯の明かりを舞台照明にして、
静かに、しなやかに踊りながら道を行く人がいてもいい。

そんな人を見て、心から拍手を送る人がいてもいい。
部屋の中から一緒に踊る人がいてもいい。

何かを感じ取った人が、別の場所で、それぞれの形で反応を起こしていく。
反応が形になって、また別の人へと繋がっていく。

人の心を左右する

写真にも、文章にも、音楽にだって絵にだって、
小説だって漫画だって映画だって、
自分自身の体と頭を動かして作る全てのものに、他の誰かのスイッチを押せる力がある。
人の心を左右させる力がある。
心を揺さぶらせて、実際に体を動かすことのできる力がある。

きっと、その先へ行くべきなんです。そろそろ。