フィルム写真と旅する

地方に暮らす写真好きの日常

不自由さから生まれる自由

f:id:andtr:20180303100703j:plain

不自由さから生まれる自由がある。自由さから生まれる不自由もある。長い時間、同じ場所でぎゅっと固められたものから滲み出る旨味や苦味というものがある。

おばあちゃんの漬けた梅干しが酸っぱくて美味しかったり、太陽の光と風に晒されたみかんが美味しかったり、荒波に揉まれた魚の身が引き締まっているのに似ているのかもしれません。

ある程度自由を絞る枠があった方がいい場合がある。ルールや規則、団体内の暗黙の決まりに沿って動いた方が旨味が出る場合がある。ソロよりバンドでやっていた頃の方がいい曲書いていたり、勿論その逆もある。

自由さが時に限界を生んだりする。不自由で動けないと壁が立ち塞がる。萎えてくる。落ち込んでくる前に手を打った方がいいし、逆に自由さに調子に乗りすぎてしまう前にブレーキをかけた方がいい場合もある。

何でも思ったように出来てしまうことが自由さの魅力ではない。思ったように動けないことが不自由さではない。絞りと解放のバランス。その間をどんな速度で進んでいくか。写真を撮る瞬間のような話です。

フィルムの自由さと、ある意味アナログな不自由さから別の枠を試してみたくなって、2017年の夏から少しずつデジタルでも撮るようになりました。とは言ってもメインはフィルムのままです。

結局最後にはフィルムに帰ってくるんだけど、今回の試みから新しい世界が広がるといいなあ。ということで新しい試みに写って頂ける被写体さんを切実に募集中です。