フィルム写真と旅する

地方に暮らす写真好きの日常

思考の森の扉を開ける

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思考の森は、自分の頭の中にあって、誰も中を覗くことは出来ません。思考の森の扉を開けて、何が入っているのか確かめられるのは、世界で自分一人だけ。

皆さんの頭の中には、どんな思考の森が広がっていますか。誰もが持っているものです。

いつも考えているけど、まだ言葉として口に出してなかったり、Twitter等のSNSに断片として書いたことはあるけど、それは思考の森に生えている木々の葉っぱのひと欠片だったりします。

それぞれの頭の中の世界

いま目の前にはそれぞれの人の見ている世界があって、頭の中の思考の森では目で見ているものと別の、それぞれの人のもうひとつの世界が広がっています。

目に見えているものだけが全てじゃない。家に帰って、スマホやPCの電源を切って、部屋でひとりでいる。

照明を暗くして、目を閉じて、呼吸の音だけに集中して、しばらく経つと感じられる、頭の中に広がる世界。それが思考の森の正体です。

思考の森の見え方

何かものごとを考える時、皆さんは言葉で考え始めますか。イメージが先に見えますか。

文節を組み立てて行ったり、音が重ね合わされたり、数式のようなものが展開されていく思考の方法もあるかもしれません。

僕の思考の森では、いつも映像が見えています。目で見えている風景とは別の風景が頭の中を駆け巡っています。

写真を撮る時、ブログを書く時、話をしたり行動を起こす時、思考の森に見えている映像を取り出して話をしたり、何かを作るのに役立てたりします。

ブログでは文章を打っているけど、思考の森の中では言葉が先に出てくることはありません。

何かの始まりや兆しのようなぼんやりとしたイメージが生まれて、これは何だろうなと取り出して、分解して、また組み立てて言葉に変換されます。映像やイメージが先なのです。

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最初の一枚は強い

文章を書く時のセオリーや、読まれる為のブログの書き方なんてのがあるけど、一度そういうのを取っ払って、思いつくまま、考えつくままに文章を書き起こして、時系列に並べていくと、どういうものが出来上がるのだろう。

散文のようなイメージ。他人の取り留めのない思考の書き出しを、そのまま読んでみたいと思う時があります。

目にしたものをいいなと思って、カメラのレンズを向けて、感じたままにシャッターを切った時の最初の一枚は、続けて同じものを撮った2枚目3枚目では到底追いつけない事が多いです。

やはり勢いのままに撮った最初の一枚にはパワーがあります。

上手く写ってなくても、ピントが合ってなくても、端っこが見切れていても、余計なものが写っていても、はじめの一枚のもつ味は強く粘り強いものです。

即興で成り立つ音楽のように

思考も、行動も、文章も同じなのかもしれません。はじめに思いついた事、考えついた事をそのまま書いたメモ書きには、シンプルな夢が詰まっています。

即興で合わせた音楽には、その瞬間だけの特別な芸術性があります。奇跡と言ってもおかしくないくらいです。

全ての思考は、写真や文章、表現やものづくりにより良い瞬間を舞い降りさせる為にあります。奇跡を起こす為に、僕たちは毎日思考を繰り返しているのかもしれません。

今日も思考の森に潜る時間がやってきたようです。