フィルム写真と旅する

地方に暮らす写真好きの日常

どこでもない世界の間

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今までに見たことのない景色を目にしたくて、子供の頃に見たかもしれない景色をもう一度目に焼き付けたくて、休日の朝に外に出ます。カメラを持って。荷物は少なく。

靴を履いて車に乗り込んで、ハンドルを握った後にどこへ行こうか考え始める時もあります。前の日からこういう場所に行きたい。こういう匂いのする写真を撮りたいとイメージしている時もあります。

自由に動ける時間は限られていて、いつまでも好きな時間に浸っていられたらと思います。制限があるからこそやりたいことを見つけられるのだとも思います。どこへ行くのも何を撮るのも、どんなものを作るのかも制限のある方が面白くなります。

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自分の決めたルールの中で泳ぐ。枠を設けてその中で自由に表現する。写真は四角の平面の中で。演劇は四角の箱の中で。僕たちは人の形をしていて、体の表面という一番外側の枠に覆われているけど、人の作り出すイメージはその枠を飛び越えて心までやって来ることがあります。

朝起きて歯を磨いてご飯を食べて、目に見えるものだけが現実だとしたら。スマホやPCの画面越しに入ってくる情報で世界は形作られているとしたら。身の回りにいる人と、これから出会う人達との繋がりが自分を形作っているとしたら、目に見えない世界は一体どこから生まれてくるのでしょう。

全身から嬉しさの湧き出るようなハッピーな日もあれば、布団から出られない落ち込んだ日もあります。空高く浮かんだまま一直線に雲の間を飛べる日もあれば、地底や海の底に体をつけたまま動けない日もあります。

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どこへ行こうか、何を見たいか考えている時、いつもどこかの世界の真ん中を飛んでいるような気持ちになります。目の前の景色から高い場所へ昇ることも出来るし、深い場所へ降りていくことも出来ます。時間は前に進むから後ろへは戻れないけど、進んでいる限りは行きたい場所へ行くことが可能です。

どこへだって行けるけど過去へは行けません。未来を手にすることは出来ます。いつもと同じ場所へ行くのも、まだ知らない場所へ足を踏み入れるのも自由です。

朝でもない昼でもない。夜でもない次の朝でもない。都会でも地方でもない。日本かもしれないし海外かもしれない。自分であるかもしれない。誰か別の人かもしれない。心の中、体の表面。いつもの街、知らない街。

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今住んでいる場所にいると思い込んで、本当はどこでもない場所を飛んでいました。どこへだって行けるけど、本当はどこへ行きたいのかはこれまで通った道が知っていました。

海を見たい。空を見たい。透明な空気。知らない街の懐かしい匂い。初めて会うのに前から知っていたような人。記憶の中でずっと息をしていた人。何度もシャッターを切った光。生まれて初めて見た光。

目を閉じて、耳をすませて、大きく息を吸い込んで、今日も世界の真ん中を飛んでいます。さあどこへ行こう。