安藤写真事務所

地方に暮らす写真好きの日常

物語の粒子

f:id:andtr:20190117135927j:plain

目の前のことを写真に記録したり、シャッターを切らなくても心が覚えていたり、感じたことを言葉や別の形に変えて残したりする。そうして毎日は続きます。

同じ日が二度と来ないのは知っていて、何かを待っても何もやって来ないのも知っていて、どこかへ行きたくても、心も身体も本当の自由になりたくても、どこへも行けないのを知っています。

本当はどこへだって行けるのに、こうしたい、ああなるといいという自由を知っているのに、誰だって夢を、自由を手にする可能性がある事を知っているのに、今日も同じ場所にいます。

退屈な毎日でしょうか。いいえ、自分で選んだ毎日です。全てを選んだのは自分自身では無いかもしれないけど。

f:id:andtr:20190117135952j:plain

夢ってどういうものでしょうか。

手にしたい自由があるなら、その自由はどのような形をしていて、どこにあるものでしょうか。

これまで私たちが生きてきた時間。その一番先端に今があって、それは人生の一番先頭かもしれないし、もしかしたら終わりの端っこかもしれない。

海に流れ出る河口にいるのかもしれないし、水の湧き出る山奥の源流なのかもしれない。

今が始まりなのかもしれないし、この瞬間が終わりなのかもしれない。どこかへ向かう旅の途中かもしれない。きっと多くの人は旅の途中です。

映画のように始まりがあって、冒頭の紹介のようなシーンがあって、話の盛り上がりが用意されていて、きちんと収束されるように。

私たちの人生もそのように予め作られたものなら、ある意味では迷う事なく、楽に次へ進める筈です。悩みも少なく、毎日楽しく生きられるでしょう。

f:id:andtr:20190117140055j:plain

でも、人生は誰かに用意して貰ったものでは無いから、自分一人で歩みを進めていくものだから、時につらく厳しく、だからこそ面白くて。

写真に残した時間の中にも、記憶に残した思い出の中にも、何も残さなかった日々の中にも、物語の粒子は風の流れの中に、確かにいつも漂っていて、光を受けて輝きます。

スクリーンに照らし出される物語のように。人生の終わりの端っこに立った時。監督、脚本、主演が貴方であるように。エンドロールを目の前にして、初めてひとつの映画になる。

舞台に立って自ら輝く姿もあれば、照明の力を借りて浮かび上がる姿もある。

物語の粒子。

それは一日一日の中に流れる光や感情のことです。忘れないように記録して、忘れてもいいように写真に残します。

無理に残さなくても良いのです。でも、毎日の中で目にしたものをカメラで撮って、時々見返してみませんか。

もしかしたら知らなかった物語まで、日々の何処かに隠れているかもしれません。

f:id:andtr:20190117140148j:plain

生きた証が形として残っているのは、結構いいものですよ。
それではまた。