安藤写真事務所

地方に暮らす写真好きの日常

物語の粒子

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目の前のことを写真に記録したり、
シャッターを切らなくても心が覚えていたり、
感じたことを言葉や別の形に変えて残したりする。
そうして毎日は続きます。

同じ日が二度と来ないのは知っていて、
何かを待っても何もやって来ないのも知っていて、
どこかへ行きたくても、
心も身体も本当の自由になりたくても、
どこへも行けないのを知っています。

本当はどこへだって行けるのに、
こうしたい、ああなるといいという自由を知っているのに、
誰だって夢を、自由を手にする可能性がある事を知っているのに、
今日も同じ場所にいます。

退屈な毎日でしょうか。
いいえ、自分で選んだ毎日です。
全てを選んだのは自分自身では無いかもしれないけど。

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夢ってどういうものでしょうか。

手にしたい自由があるなら、
その自由はどのような形をしていて、
どこにあるものでしょうか。

これまで私たちが生きてきた時間。
その一番先端に今があって、
それは人生の一番先頭かもしれないし、
もしかしたら終わりの端っこかもしれない。

海に流れ出る河口にいるのかもしれないし、
水の湧き出る山奥の源流なのかもしれない。

今が始まりなのかもしれないし、
この瞬間が終わりなのかもしれない。
どこかへ向かう旅の途中かもしれない。
きっと多くの人は旅の途中です。

映画のように始まりがあって、
冒頭の紹介のようなシーンがあって、
話の盛り上がりが用意されていて、
きちんと収束されるように。

私たちの人生もそのように予め作られたものなら、
ある意味では迷う事なく、楽に次へ進める筈です。
悩みも少なく、毎日楽しく生きられるでしょう。

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でも、
人生は誰かに用意して貰ったものでは無いから、
自分一人で歩みを進めていくものだから、
時につらく厳しく、だからこそ面白くて。

写真に残した時間の中にも、
記憶に残した思い出の中にも、
何も残さなかった日々の中にも、
物語の粒子は風の流れの中に、
確かにいつも漂っていて、光を受けて輝きます。

スクリーンに照らし出される物語のように。
人生の終わりの端っこに立った時、
監督、脚本、主演が貴方であるように。
エンドロールを目の前にして、初めてひとつの映画になる。

舞台に立って自ら輝く姿もあれば、
照明の力を借りて浮かび上がる姿もある。

物語の粒子。
それは一日一日の中に流れる光や感情のことです。
忘れないように記録して、
忘れてもいいように写真に残します。

無理に残さなくても良いのです。でも、
毎日の中で目にしたものをカメラで撮って、
時々見返してみませんか。
もしかしたら知らなかった物語まで、
日々の何処かに隠れているかもしれません。

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生きた証が形として残っているのは、
結構いいものですよ。
それではまた。